私は、国鉄分割・民営化攻撃に対する闘いのなかで、1985年の第一波ストライキを理由として不当処分を受け、清算事業団に送られました。清算事業団では3年間全く仕事を奪われて、ある意味ではブロイラーのように賃金だけ受け取るという状態が続きました。出勤しても全く仕事がなく、敵も見えない状況のなかでつくづく思ったのは、「闘う」という人間の気持ちをだめにするのはああいうことだということです。 20年前の動労本部との闘いがなかったら今の動労千葉がないのと同じで、清算事業団の解雇撤回闘争も、敵をはっきりとさせる必要があります。 いま国労のなかでは、1047名の闘いを切り捨ててしまおうという動きが起きていますが、そのような動きが出てくるのは、分割・民営化のときにストライキで血を流して闘った経験がないからだと思います。役員や幹部の人たちが傷つかず、いちばん厳しいときに責任をとらずに来ているから、今のような闘争団や現場の組合員との温度差が出てくるのではないか。それが今になって深刻な対立が生まれているいちばんの問題ではないかと感じています。国労のなかにも補強案反対の意見が全国に残っているし、それを支援する人たちもいるわけで、本来ならそれをまとめて闘いの方針を打ち出すのが執行部の責任です。それができない執行部ならば「辞めてください」と言うしかありません。 この20年を振り返ってみて、28名の不当解雇や12名の採用差別、そして差別や不当配転をはじめとしたさまざまな弾圧を受けながらも闘ってきた動労千葉は、改めて凄い組合だと思っています。 今、少しずつ時代が変わって一緒にやろうという仲間がでてきたということは、20年間一生懸命頑張ってきた成果です。ここをさらに大きくできるかどうかがこれからの勝負です。動労千葉がこの壁を乗り越えるような組合であってほしいと思います。20年間の成果を今こそ全国に広げましょう。 (別冊・鉄路に生きる!」動労千葉20年の軌跡より) |